八ヶ岳(長野) 蓼科山(2530.7m) 2021年9月25日  カウント:画像読み出し不能

所要時間 4:22 大河原峠−−4:29 ルートミスに気付き戻る−−4:33 大河原峠−−5:23 2380m峰−−5:38 蓼科山荘−−5:59 蓼科山頂ヒュッテ−−9:04 蓼科山 6:30−−6:46 蓼科山荘−−7:02 2380m峰−−7:39大河原峠

場所長野県茅野市/北佐久郡立科町
年月日2021年9月25日 日帰り
天候
山行種類一般登山
交通手段マイカー
駐車場大河原峠に広い駐車場あり
登山道の有無あり
籔の有無無し
危険個所の有無蓼科山荘〜山頂間及び山頂一帯は大きな溶岩の塊に覆われて溶岩の上を飛び移りながら歩くことになり足元注意。私は下りで溶岩の上で滑って左膝靭帯を断裂してしまった。他にもコケてストックを折ってしまった登山者を見かけたので、コケやすいルートであることは間違いないと思う
山頂の展望晴れれば大展望
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コメント前回登ったのは1993年5月だったので超久しぶりの蓼科山。大河原峠から往復したが、いきなりルートミスして双子山方面に登ってしまい、月明りに照らされた雲がかかった山頂が妙な方向に見えたので気付いてUターン。蓼科山荘〜山頂にかけては溶岩の塊に覆われており、山頂には立木は皆無で大展望が広がるがこの日は空気の透明度がイマイチで北アルプスはほぼ見えなかったのが残念。帰りに溶岩の上で足を滑らせてコケて左膝靭帯断裂の重い怪我を負ってしまい、どうにか自力で下山できたがギプス着用で日常生活に支障をきたす状態で全治1ヵ月以上は確実




蓼科スカイライン沿いのJAXAφ54mアンテナ 大河原峠
シラビソの縞枯地帯あり 佐久市最高地点(2380m峰)
7合目登山口方面分岐 蓼科山を見上げる
蓼科山荘 蓼科山荘から溶岩の道が始まる
日の出 日は昇ったが東の空は雲が多い
溶岩がゴロゴロしている 蓼科山頂ヒュッテ。営業しているようだ
案内図 蓼科山山頂
蓼科山から見た北半分の展望。本来なら北アルプスが良く見えるはずが霞んでほとんど見えなかった
蓼科山から見た南半分の展望(クリックで拡大)
山頂の一等三角点 山頂部中央付近の蓼科神社
山頂部西側の方位盤。コンクリートがかなり劣化している 展望盤があるのかと思ったら何もなし。取れちゃった?
方位盤から見た東側半分の展望
方位盤から見た南アルプス
山頂での気温は+2,3℃ 下山中にコケて左膝を負傷
木道 佐久市最高地点
ここだけ両側から笹がはみ出している 大河原峠
駐車場は大賑わい


・私にとって悪い意味で忘れられない山になってしまった。もしかしたら生涯にわたって私の山登り人生の障害となる可能性が。

・蓼科山に登ったのはおそらく30年近く前、1990年代前半だろう。当時の山仲間3人で登った記憶があり、山頂を覆う大きな溶岩の塊が印象的であった。当時は活動の中心が奥多摩であり、蓼科山から見える多くの山々の名前は浅間山以外はほとんど分からなかったが、今となっては大半の山は同定可能だろう。今回の主な目的は北アルプスの展望写真を撮影することである。北アルプスから蓼科山はどこからもよく見えるので、逆に言えば蓼科山から多くの北アルプスの山が見えるはずである。剱岳からもよく見えていた。

・ルートは最も車で高所まで入れる大河原峠から。旧臼田から蓼科スカイライン経由で入ったが、その途中のかなり標高が高い場所に真っ白い大きなパラボラアンテナがあった。これはJAXAの施設(美笹地上局)で、今でもこの近くの旧臼田エリアに巨大パラボラがあるが、その後継施設であり2021年4月に新設されたもの。JAXAの深宇宙探査機(地球を周回する人工衛星ではなく他の惑星を調査するための探査機)を制御、監視したり、観測データ受信を行う施設であり、はやぶさ2との通信もここで行っている。

・探査機までの距離が非常に遠い遠深宇宙では電波の減衰量がべらぼうに大きく、通信のためには巨大なアンテナが必要である。また、大気や雨での減衰が少ない周波数帯が使われており、以前は主にSバンド(2GHz帯)であったが、近年は携帯電話やスマホなどのモバイル通信用の電波がすぐ近くの周波数で使われるようになって電波状況が悪化したり、探査機の画像の解像度がアップしたりして探査機から送られる情報量が増加し、周波数が低い=帯域幅が狭いSバンドでは対応できなくなりつつある。やろうと思えばSバンドのままできなくはないが、通信速度が遅いのでデータ受信かかる時間がに非常に長くなってしまう。例えるならばスマホでギガを使い果たして通信速度が低下した状態である。そこで今ではもっと周波数が高いXバンド(7/8GHz帯)やミリ波のKaバンド(20/30GHz帯)まで使われるようになった。スマホで言えば5G(ファイブジー)のようなものである。旧臼田のアンテナはSバンド/Xバンドであった。

・Xバンドは雨による減衰が比較的少ない周波数であるが、Kaバンドは雨で電波が猛烈に減衰してしまうので(雨の強さにもよるがおそらく雨が降っていると実質的に通信できなくなると思われる)、雨が少ない場所に建設するのが得策である。その点、長野県は全国的に見ても雨が少ない土地柄であり、大都市から離れた場所なので人工的に発生する各種ノイズの影響も受けにくい。旧臼田のアンテナが同じようなところにあるのも同じ理由だろう。

・さらに車で上がって大河原峠に到着。広い駐車場があり週末でも問題なさそうな広さ。昨日同様、静かに車中泊するために駐車場から舗装された林道唐沢線に入り駐車余地でお休み。夜間は車の通行は皆無で快適に寝ることができた。

・翌朝は早く自宅に帰りたいこともあり、まだ真っ暗な時刻に駐車場に移動して出発。気温は昨日より下がって寒いくらいで、最初から長ズボンを履いて上は長袖シャツとウィンドブレーカを羽織った。さすがにこの時刻から出発する登山者は他にはいなかったが、車内灯が光る車があったので出発準備をして明るくなるのを待っているのだろう。今日も晴れて月が明るいが蓼科山方面には雲が絡んでいる。このままだと山頂で何も見えないが、時間経過とともに晴れてくれるといいのだが。

・歩き出してしばらくすると雲がかかった山頂が後ろ側に見えていることが発覚。峠から双子山へと向かう登山道に入ってしまったのだった。周囲が明るければこんな凡ミスはしないのだが。蓼科山への登山道は峠から右に直角に曲がっており、直進すると双子山に向かうのであった。

・約30年ぶりに歩くルートなので過去の記憶は一切なし。ただし蓼科山はメジャーな山なので北アルプスの登山道と同等かと思いきや、2380m峰への登りでは道幅が狭くなり両側から朝露に濡れた笹がはみ出て手でかき分けながら歩く羽目になった。八ヶ岳では笹はあまりお目にかからないのだが、峠に近い場所では笹が見られた。ただし標高が上がると発達したシラビソ樹林で日当たりが悪くなる影響か、八ヶ岳らしい苔生した地面に変わった。シラビソ樹林は所々でまとまった立ち枯れたエリアがあり、いかにも縞枯れ現象っぽい。でも北アルプスでは縞枯れは見かけない気がする。

・??m峰のてっぺんには佐久市最高地点の標識が立っていた。ここまで佐久市が広がっているのに蓼科山山頂は佐久市ではなかったとは知らなかった。

・2380m峰周辺から先はほぼ水平な道に変わる。深いシラビソ樹林は相変わらずで展望はないルートが続く。

・標高2360m付近で赤谷方面への分岐が登場。こちらは旧有料道路に登山口がある。

・2350m鞍部では蓼科山荘が登場。営業しているのかよくわからなかったが、窓から建物内部にテントが見えたので建物の老朽化が進んでいるようだ。林道が開通する以前なら小屋の存在意義は大きかっただろうが、林道により簡単に日帰りできる山に変わってしまってからは利用者は激減しただろう。なお、ここは旧有料道路が登山口の登山道が合流する場所で、帰りに車で通過したら駐車場は満車に近く、もしかしたら大河原峠よりも賑わっていたかもしれない。大河原峠よりやや標高は落ちるが2380m峰を登る必要がないことと、佐久以西の住人にとってはこちらの登山口の方が車で近いというのもあるだろう。

・2350m鞍部から山頂まで、大きな溶岩が転がった斜面に変わる。こんな岩だらけの斜面でも樹林帯が広がっているのは驚きで、富士山の青木ヶ原珠海と同様で溶岩に覆われても長い時間をかければ森は復活するようだ。登山道は岩の間を縫うように急角度で上へと伸びている。アルプスの岩稜帯のように所々にペイントの目印があるが、岩だらけで踏跡が残らないためだろう。

・山頂が近付いて傾斜が緩むと登山道は左へと巻き始めて蓼科山頂ヒュッテが登場。煙突から煙が出ているので営業しているようだ。まさに山頂部に建つ小屋なので今でも利用価値は高いと思う。この周囲も溶岩がゴロゴロしており、小屋の建設は大変だったと思う。

・傾斜が緩んだ山頂部からは立木は無くなって展望が開ける。蓼科山は尖ったピークではなく山頂部は平坦なため、立木は無くても地面が広すぎて地面に隠れる面積が大きいので意外と遠望はよくない。正確には近場の山が見えなくなってしまう。小屋は山頂の東端に位置するので東側の展望は抜群だが、西側半分は山頂に邪魔されて見えない。

・相変わらず溶岩の塊が埋め尽くす山頂部を横断して緩やかな最高点に到着。ここが蓼科山山頂だ。三角点は1等だが周囲の溶岩がでかいせいか三角点が小さく見えた。ここは広い山頂部の中心ではないが、360度見渡す限り黒い溶岩が広がっている。残念ながら今日も雲が多く空気の透明度がイマイチで、北アルプスの姿は微かに判別できる程度。南八ヶ岳や南アルプスには雲が絡み、すっきりとは見えていない。ラジオの天気概況を聞くと関東地方には湿った冷たい北東の風が入り雨が降っているとのこと。関東側は雲に覆われてすぐ隣の奥秩父でさえ全く見えなかった。これでは山頂の展望写真としては不合格で、もっと条件がいい日に再訪する必要がありそうだ。

・まだ日の出からそれほど時間がたっていない早朝なので登山者の姿はごく僅か。私のすぐ後に姿を見せた中年の単独男性は溶岩に足を取られて転んでしまい、ストックが折れていた。逆に言えばストックのおかげで大きな怪我をしなくて済んだと言えるかも。山頂部はほとんど地面は見えておらず岩の上を渡り歩くようなルートである。

・山頂の西側、少し窪んだ山頂の中心部に鳥居が立っているので行ってみると「蓼科神社」と書かれていた。さらに西側、山頂部の西端に高さ1m程度のコンクリート柱が建っているが、案内標識によると展望盤とのこと。しかし現場に行ってみるとコンクリートの柱は劣化しててっぺんに取り付けられていたはずの展望盤は無くなっていた。ここからは西側半分の展望がいいが、今日は残念ながらその恩恵が薄い。この3日間はずっとこんな感じで、秋の澄んだ空気で北アルプスや奥日光の山々を写真に収めるのを楽しみにしていたのだが残念だった。

・三角点のある山頂に戻り、少し休憩してから下山開始。今回使った登山靴は防水性能が皆無まで劣化し靴底が摩耗しきった今年で引退予定の古いものだったが、それが原因の一つになったのか下山時に大怪我をしてしまった。蓼科山荘まで大きな塊の溶岩の急な下りの登山道が続いて岩の上を渡り歩くように下っていくが、その岩の一つで足を滑らせて岩と岩の間に左足が落下。この時の高さは50cm程度なので落下そのもので怪我はしなかったが全く別の要因で大怪我をしてしまった。滑り落ちてバランスを崩し体が左に大きくから向いたのだが、運悪く左足は岩と岩の間にすっぽりとはまって足首が自由に動かない状態=膝は左右方向にロックされた状態で膝に左方向に強い力がかかったため左膝内側の靭帯が断裂してしまったのだ。最初は骨までいったかと思ったが、少し時間が経過するとどうにか歩ける程度の痛みであることが判明し、ペースは大幅ダウンだがどうにか自力で下山できた。しかし一部の靭帯が切れたので左膝の関節が緩んで膝が時々ガクガクする状況で、痛みよりもなんとも形容しがたい違和感が強かった。

・どうにか車までたどり着き、着替えて車で帰宅。幸い、マイカーはオートマなので左足が使えなくても問題なし。いや、この時は大した痛みではなくなっていて運転程度なら全く支障が無かったくらいだった。

・自宅に到着してネットで整形外科を検索。土曜でも診察している医者に行くと骨には異常はなく靭帯部分断裂の診断だった。ただし、靭帯の損傷程度はレントゲンでは分からないとのことでMRIでの撮影が必要とのこと。この医者にはMRIは無いので(普通の整形外科にはそんな高額医療機器は無い)別の大きな病院の紹介状を出してもらい、そちらで撮影することになったが、なんと3週間待ち! この記録を書いている時点でまだであり、正確な傷の重さは今もって不明の段階。

・部分的に切れた靭帯は自然にくっつくとのことで、靭帯が縮んだ状態でくっつくように簡易型ギプスで膝を延ばした状態で固定。これ以降、日常生活に大きな影響が出ている。目の場合は片目でも日常生活に大きな支障はないが、足の場合は片足だと大きな支障あり。歩くのはもちろん、ズボンや靴下を履くのが大変。自宅にはエレベータが無いので階段の上り下りが大変。トイレがもし和式だったら悲惨な目にあっただろう。通勤は自転車だったがこれが不可能になり臨時の車通勤の許可が下りるまで1週間かかり、タクシーまで使う羽目に。

・ギプス着用でとりあえず歩けるようになったが、長期間ギプスで膝を固定したままだと膝が曲がらなくなるという別の問題が生じるため、傷の治り具合を見ながらリハビリを開始する必要があり、怪我から約2週間でリハビリを始めよとのお達しが医師から出た。しかし既に膝は曲がらなくなっていて、無理に曲げようとすると怪我をした時よりもひどい痛みが出る。ちなみに靭帯が痛いのではなく関節そのものが痛む。はたして日常生活に戻れる日はいつやってくるのだろうか。さらに山歩きができるようになる日はいつだろうか。現状では完治までの期間は不明のままであるが、この分では怪我の治癒よりもリハビリに長期間かかりそうだ。

 

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